米国の裁判所は、PerplexityのAIアシスタントを通じて行われたアクセスについて、その主体はAI企業ではなく利用者であるとの判断を示した。しかし、第三者が拒否しているにもかかわらず、そのインフラ上で動作できるソフトウェアを設計した者が、どこまで責任を負うのかという重要な問題は未解決のままである。
AIエージェントが人間に代わってウェブサイトを操作するようになるにつれ、「誰がその行為に責任を負うのか」という問題は避けて通れなくなっている。米国の裁判所がAmazonとPerplexityの争いで示した判断は、AIそのものではなく、それを利用する人間に責任があるという原則を明確にした。一方で、利用者にその行為を可能にするようシステムを設計した企業の責任については、なお重要な論点が残されている。
主な論点は次のとおりである。
- AIエージェントによるウェブサイトの利用について、誰が法的な「アクセス」の主体となるのか
- AIは独立した責任主体ではなく、人間が設計し、人間が利用するソフトウェアであるという考え方
- 「サイバースペースに入る」という比喩に依存した「アクセス」概念の問題
- Cometを単なるブラウザではなく、PerplexityのAIインフラの一部として考える必要性
- ソフトウェアによって可能な機能を、第三者のシステム上でも当然に利用できる「権利」が存在するわけではないこと
- AI時代に重要になるのは、利用者の責任だけでなく、サービスやソフトウェアをどのように設計したかという開発者側の責任であること
米控訴裁判所の判断
2026年8月4日に公表された米国第9巡回区控訴裁判所の判決は、AIエージェントの利用に伴う責任について重要な判断を示した。
裁判所によれば、ツールがどのように利用されたかについて責任を負うのは最終利用者であり、AIエージェントそのものでも、その開発者でもない。
もっとも裁判官は、この判断が一般的な原則を確立するものではないことも明確にしている。その効力は、連邦法であるComputer Fraud and Abuse Act(CFAA)と、カリフォルニア州のComprehensive Computer Data Access and Fraud Act(CDAFA)の解釈に限定されており、異なる事実関係であれば別の評価が必要になる可能性がある。
それでも、この判断を支える論理には、AIと法的責任を考えるうえでいくつかの重要な示唆がある。
当事者と事件の内容
AmazonはAIスタートアップのPerplexityを提訴した。
Amazonの主張によれば、Perplexityのブラウザに組み込まれたAI機能は、一定程度自律的に動作することができる。そのため、この機能によるAmazonのシステム利用は、Perplexity自身によるAmazonのインフラへの「アクセス」に当たる。
そしてAmazonは、そのアクセスを許可していなかったため、PerplexityはCFAAおよびCDAFAに違反すると主張した。
問題となったのは、Perplexityが開発したブラウザ「Comet」の動作方法である。
Cometを「アシスタント」モードで利用すると、ブラウザは画面に表示されている内容のスクリーンショットを取得する。その画像はPerplexityのサーバーに送信され、そこで解析される。そして解析結果に基づき、Amazonのウェブサイト上でブラウザが実行すべき操作についての指示が生成される。
したがって、この仕組みには三つの要素が関与している。
- 単独では動作できないAIアシスタント
- Perplexityのインフラ
- AIに指示を与える利用者
Amazonは、一定程度自律的に動作するアシスタントが自社サイトと相互作用することを認めないとPerplexityに明確に伝えていた。しかしPerplexityはその要求に従わず、最終的に訴訟へと発展した。
控訴審の判断
第一審ではAmazonが仮差止命令を獲得していた。
その判断の前提となったのは、Cometの仕組みを考えれば、Amazonのサイトに無断でアクセスしているのは利用者ではなく、実質的にはPerplexityであるという考え方だった。
しかし控訴審は異なる判断を示した。
判決によれば、AmazonがCFAA上の意味においてPerplexity自身がAmazonのコンピューターに「アクセス」したことを立証できる可能性は低く、したがって仮差止命令を得る要件を満たしていないと判断された。
裁判所は、提示された事実関係を見る限り、Perplexityが何らかのツールを利用してAmazonのコンピューターに「アクセス」したのではないとした。
そうではなく、Amazon.com上で特定の操作を行うため、PerplexityのAIエージェントである「Assistant」の支援を受けながらAmazonのコンピューターに「アクセス」したのは利用者だった。
つまり、Amazonにアクセスした主体はPerplexityではなく、AssistantをAIツールとして利用したユーザーだったというのである。
判決の肯定的な側面
この控訴審判決には、後述するように必ずしも説得的とはいえない部分がある。
しかし、一つ重要な点がある。それは、自分が利用するツールについて利用者自身に責任を負わせたことである。
ここ数年、巨大AI企業や、十分な理解を伴わない一部の分析者・論者によって、「AIの法的責任」や、そのための「新しい法律」が必要だという議論が繰り返されてきた。
その結果、人間はAIをはじめとする技術をどのように利用したとしても、その結果について責任を負わないかのような考え方が広がりつつある。
その意味で、責任を負うのは機械ではなく人間であると控訴裁判所が明確にしたことは妥当である。
AIは結局のところソフトウェアにすぎない。
極めて複雑なものであったとしても、それは常にソフトウェアであり、その動作は人間によって決定される。そして、そのソフトウェアをどのように設計し、どのように利用するかについて責任を負うのも人間である。
判決が解決しなかった問題
「場所」としてのサイバースペースという誤った神話
Amazonの主張を退けた裁判所の論理には、かなり単純化された部分がある。
その根本には、コンピューターとの相互作用を表現するために「アクセス」という言葉を用いるという、極めて一般的でありながら誤解を招く比喩がある。
さらに、利用者、ブラウザ、Perplexityのインフラの相互作用がどのように設計されているのかについて、判決は十分に考慮していない。
コンピューターへの「アクセス」という概念が、どのように社会心理学的なカテゴリーから法制度上の概念へと変化してきたかを説明するには、ここでは長くなりすぎる。この問題については別の機会に詳しく論じている。
重要なのは、世界のほぼあらゆる地域で、法制度や公共政策、さらには軍事戦略までが、サイバースペースを人間が「入る」ことのできる「場所」と考えるサイバーパンク的な物語を採用してきたことである。
そこから、多くの誤解が生まれている。
本当の問題はプラットフォームの設計責任である
この問題がAmazonとPerplexityの争いに関係するのは、まさに言葉の意味にある。
Amazonのウェブサイトに「アクセス」したのが利用者であったこと自体は疑いない。
しかし、Cometがどのように設計され、どのように動作するのかを決定したのはPerplexityである。
したがって、Perplexityは、その設計によって利用者に何を可能にしたのかについて責任を負わなければならない。
AIについて、この考え方はすでに米国の裁判所で広がり始めている。
議論の対象となっているのは「AI自身の責任」ではなく、AIシステムを製造・開発した者の責任である。
しかも、この考え方は新しいものではない。
2001年には、今回AmazonとPerplexityの事件を判断したのと同じ第9巡回区控訴裁判所が、第三者の権利を保護する仕組みを備えていないソフトウェアの設計について、開発者が責任を負い得るという原則を示している。
それがA&M Records, Inc. v. Napsterである。
この判決は、著作権の遵守を確認するための仕組みが存在しなかったことを理由として、ソフトウェアを利用して行われた行為について開発者が間接的責任を負い得ると判断し、「ピア・ツー・ピアの父」と呼ばれたNapsterに致命的な打撃を与えた。
Cometは単なるブラウザではない
ここで本題に戻ろう。
まず、CometをPerplexityのその他のインフラから独立した存在として扱うのは適切ではない。
それは、SafariがPrivate RelayやTracking Preventionなどのサービスから「切り離されている」と考えることや、ChromeがGoogleのエコシステムから独立していると考えることと同じである。
これは決して新しい問題ではない。
HTML 1.0の時代を知る人なら、「Any Browser」に対応するウェブサイトを作るために、どれほど多くの工夫が必要だったかを覚えているだろう。
そして実際には、その「Any Browser」とは、とりわけ現在では消滅したInternet Explorerへの対応を意味していた。
Cometは、PerplexityのAI機能を利用できる唯一のブラウザである。
そのため、Cometを独立したスタンドアロンソフトウェアとして考えるよりも、PerplexityのAIサービスを実行するためのインターフェースとして捉えるべきである。
したがって、仮に判決と同じ前提から出発したとしても、Amazonのリソースに「アクセス」している――より正確にいえば、それを利用している――のはユーザーだけではない。
Perplexityも同様にそれを利用している。
スクリーンショットがAmazonのサーバーの外部で処理されるため、その関与が間接的であるという事実は、それほど重要ではない。
最終的にはComet、すなわちPerplexityが、その処理結果を利用してAmazonのウェブサイトに再び「アクセス」するからである。
第三者のリソース上で特定の機能を使う「権利」は存在しない
判決が扱っていないもう一つの問題がある。
おそらく裁判所に論点として提示されなかったためだろうが、それは特定の機能を利用する「権利」が当然に存在するわけではないという点である。
Perplexityやその他の企業が、一定の方法で動作するソフトウェアを提供しているからといって、他者がそのソフトウェアとの相互作用を受け入れなければならないわけではない。
したがってAmazonは、Perplexityのアシスタントを識別可能なものにし、それによってAmazon側がブロックできるようにすることを求める権利があった。
この判決はAI開発に何を意味するのか
裁判官自身が示した限界はあるものの、この判決は、どれほど自律的に見えるソフトウェアであっても、そのツールの利用について責任を負うのは人間であるという考え方を補強するものになっている。
しかし、本当に重要な問題――そして判決が明示しなかった部分――は、どの人間が責任を負うのかという点である。
ここで問題となるのは単なるミスではない。
一台のコンピューター上で動作するソフトウェアであれ、数百万人にプラットフォームサービスを利用させるためのシステムであれ、その設計段階で意図的に行われた選択について、誰が責任を負うのかという問題である。
より明確にいえば、これはソーシャルメディア・プラットフォームに対して提起されてきた訴訟の中心にある問題と同じである。
最近の例の一つがMetaに対する訴訟であり、そこでは、利用者に損害を与えるようサービスが意図的に設計されたことが問題とされている。
巨大な欧州AI規制には、そろそろ別れを告げる時なのかもしれない。
米国裁判所の実務的なアプローチはすでに、AIを利用する者の責任と、ソフトウェアを作る者の責任との境界線を引き始めている。
そこから二つのことが分かる。
第一に、AIの利用について責任を割り当てるために、必ずしも「新しい法律」が必要なわけではない。
第二に、自律型アシスタントを構築することを含め、技術的に何かが可能であるという事実は、それを実際に行うべきであることを意味しない。
まして、その仕組みを望まない第三者に対して、それを押し付ける権利が存在することを意味するものでもない。
The English version is here.
