この記事は、国際危機の管理において国際法だけでは十分に機能しにくくなっている現状と、それに伴い国家が自国の国内法(とくに刑事司法)を、地政学的圧力の手段として用いる傾向(いわゆる lawfare)が強まっていることを、**「マドゥロ事件」**を軸に論じている。
筆者は、事件の政治的評価は脇に置いたうえで、マドゥロ氏の逮捕(軍事力を伴う形での拘束という趣旨を含む出来事)が示すのは、「対等な国家同士の危機」において国連などの多国間枠組みや条約上の裁判機関といった超国家的な仕組みが十分に仲裁できず、各国が国内裁判所を通じて、政治判断を支える“法的根拠”を構築する方向に動いている点だとする。
次に、国内法の観点から、国家は一般に、自国領域内での犯罪だけでなく、一定の場合には国外で行われた行為についても自国法で処罰し得ることを整理する(イタリア刑法の例や、米英仏など類似の枠組みに言及)。ただし、刑事手続の原則として、**被告人を裁判官の前に連行する必要(ハビアス・コーパスの発想)**があり、そこで問題になるのが、国外で当人を直接拘束し、軍の協力も含めて移送できるのかという点だと述べる。
米国の事例としては、武力の法執行利用を制限する原則との関係で、例外を定める制度(Posse Comitatus Act)に触れつつ、**国外で拘束した被疑者を米国へ移送し訴追した裁判例(Yunis 事件、Rezaq 事件)**を紹介し、軍の関与の範囲や、国外での強制的連行の評価が争点となったことを示す。
さらに重要なのは、たとえ訴追国の法から見て「適法」と整理されても、拘束が行われた相手国の法からも正当化されるとは限らない点である。その例として、イタリア国内での拉致・移送として問題化したアブ・オマル事件を引き、国外での秘密工作や引き渡しが、国内刑事責任の問題として扱われ得ることを示している。
結論として、こうした動きは、国際関係の分断と多国間フォーラムの機能不全を背景に、各国が「都合と力」に基づいて国内法を一方的に適用し、国際法より優位に扱う現象を強めている、という見立てにつながる。ここでは、法の支配が「法による支配(rule by law)」へと傾き、国内法が行政権の政策道具として用いられることで、lawfare が標準的手法化していると論じられる。
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